私は大好きな『ハード・ウェイ』ですが、1991年の興行的にはコケたそうで、マイケル・J・フォックスが自伝にも書いているようです。自伝とは『ラッキーマン』でしょうか。Twitterに私と同じ気持ちの人がツイートしています。
マイケル・J・フォックス『ハード・ウェイ』役作りのために現職の刑事に付きまとう話ですが自虐ギャグ満載。女の仕草で恋愛相談を始めるのがウケた。自伝でコケた話を読んで驚きました。ああっ、そうだったんですかぁぁ(´;ω;`)ションボリ #世評は悪いけどうちは好きじゃ映画
— ゆっけ💎🎗 (@yooyoosiki_tkbn) 2016年3月26日
同じくです!あと、興行的には今ひとつだったそうですが、『ハード・ウェイ』が大好きです。
— attic221b (@attic221b) 2020年11月25日
マイケル・J・フォックス&ジェームズ・ウッズ主演のコメディ刑事物「ハードウェイ」を久々に観返した。この雰囲気が堪らんよね〜当時、興収的にコケたなんて信じらんない。 pic.twitter.com/3l0A3MsqwZ
— 骸骨にぼーん (@nibonibo_cool) 2023年6月2日
実際、興行的にどうだった?
下のサイトによると、『ハード・ウェイ』の興行収入は全米2,589万ドル、世界6,559万ドルです。
The Hard Way - Box Office Mojo
下の全米映画興行収入ランキングによると48位です。マイケルの同じ1991年8月公開の『ドク・ハリウッド』は全米5,483万ドルで23位です。
ではマイケルの代表作の全米での興行収入はどうだったのかというと、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』1985年1位 2億1,060万ドル
『バック・トゥ・ザ・フューチャーPart2』1989年6位 1億1845万ドル
『バック・トゥ・ザ・フューチャーPart3』1990年11位 8,770万ドル
というように、だんだん下がっています。しかし、下の洋画ランキングのとおり、1990年の日本ではPart2が1位、Part3が2位と、大人気でした。
1990年代 映画(洋画)ランキング | 年代流行 (nendai-ryuukou.com)
『スクリーン』1991年3月号によると、日本でヒットしたのは次のような理由が考えられるとのこと。
・1作目をビデオで見てファンになった子どもたちが押し寄せた
・相変わらずのスピルバーグ印崇拝
・Part2は冬休み、Part3は夏休みと重なったタイミングの良さ
なるほど、タイミングは大事ですよね。
『ハード・ウェイ』公開のタイミングが悪かった
では『ハード・ウェイ』はというと、日本で公開されたのは1991年4月27日で、GWを狙っていたようです。アメリカで公開されたのは1991年3月8日(金)。
『バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ』の熱が冷めないうちにまるで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を否定するような作品がマイケル主演で公開されたわけですから、ファンにとっては複雑な心境だったのではないでしょうか。
さらに、1991年3月8日がどういうタイミングだったかを、ジェームズ・ウッズのインタビューで知りました。
インタビュアーから『ハード・ウェイ』の続編を作ろうという話はなかったのかと聞かれ、こう答えています。
No, because you know what, The Hard Way was released on the weekend of the ground invasion of Kuwait by Iraq. And you can’t release a fucking comedy the weekend a war starts, believe me. So The Hard Way didn’t do that well, and only because it was horrible timing, that’s all.
引用元:James Woods interview: Videodrome, The Hard Way, Hercules and more | Den of Geek
(DeepL翻訳)”いや、『ハード・ウェイ』が公開されたのは、イラクによるクウェート地上侵攻の週末だったからさ。戦争が始まる週末にクソコメディを公開することはできないんだ。だから『ハード・ウェイ』はそれほどうまくいかなかった。ただ、タイミングが悪かったというだけでのことです。”
イラクによるクウェート侵攻は1990年8月2日に起こりました。8月10日にはアメリカ率いる多国籍軍と軍用機がサウジアラビアに集結し防衛計画が「砂漠の盾作戦」を開始。ちょうど『ハード・ウェイ』を撮影していた頃で、『ニューヨーク・タイムズ』が8月8日に撮影中を取材した下記事を書いています。
https://www.nytimes.com/1990/08/08/movies/a-police-comedy-that-takes-realism-seriously.html
※URLをコピーして、検索バーに貼り付けて、検索して一番上に表示された記事をクリックしたら読めます。リンクをクリックしても、購読を促す画面が出てきて読めません。
この侵攻を発端とし、1991年1月17日の多国籍軍によるイラク空爆「砂漠の嵐作戦」で始まったのが湾岸戦争だそうです。下の記事が分かりやすいです。
2月24日には地上戦「砂漠の剣作戦」を開始。2月26~27日にかけての夜間にイラク軍が撤退していたところ、多国籍軍が容赦なく爆撃。焼けた戦車や焼死体が連なる様子は「死のハイウェイ」と呼ばれたそうです。
2月27日にイラク軍がクウェートを解放。2月28日に当時のジョージ・H・ブッシュ大統領が停戦宣言。3月3日停戦協定。その5日後が『ハード・ウェイ』公開日。
このように、コメディを公開するタイミングとしては非常に不利です。それに、「死のハイウェイ」と『ハード・ウェイ』って音的に似てる気が…
さきほどの湾岸戦争解説記事によると、湾岸戦争は世界各地でテロリストが生まれるきっかけにもなったそうで、『ハード・ウェイ』のニックとアンジーの会話の背景が分かりました。
ニック「テロリストにもてて嬉しいねぇ。イラクじゃどうなんだい?」
引用元:『ハード・ウェイ』DVD日本語吹替
このニックの「イラクじゃどうなんだい?」という皮肉は、まさにその時のアメリカとイラクの関係を表していたのですね。
評論家からあまり評価されなかった
AFIカタログというサイトで『ハード・ウェイ』のHistoryを読むと、Village View、
Var、HR、LATが何を指すのかわからないのですが、公開前からあまり評価されていなかったということがうかがえます。
下の記事で紹介したニューヨーク・タイムズの公開日のレビューも、アクションシーンが面白みに欠けると書いています。有名紙のレビューで公開初日にそんなこと書いたら観に行く人減るじゃないですか!
ちなみにニューヨーク・タイムズとジェームズ・ウッズには因縁があるようです。
ジェームズ・ウッズは「SWITCH」1987年12月号のインタビューp.26で、右寄りの政治家や資本家を喜ばす記事ばかり書いているファシスト新聞だと言い、『サルバドル』をニューヨーク・タイムズが酷評したがロサンゼルスで公開されると絶賛の嵐だったことを語っています。また粉川哲夫氏によるインタビューp.33では、次のよう語っています。このインタビューは粉川哲夫氏の『シネマ・ポリティカ』というサイトで読むことができます。
一九八五年に封切られた『ジョシュア・ゼン・アンド・ナウ』の際には、監督のテッド・コッチェフも脚本のモルデカイ・リッチラーも口をそろえてウッズが「適役」だと述べた。「やせた、鷹のような顔つきの、粗野で同時に頭のいい男」にウッズはうってつけだと言った。そこで彼は、満足して役を引き受けた。ところが、ウッズ自ら語るところによれば、
「『ニューヨーク・タイムズ』のジャネット・マスリンというアホがこう書きやがった。『ウッズ氏は、極度のミスキャストだが……』と」。
実際にジャネット・マスリンの書いたレビューを読むと、けなしてから褒めてますね。
Amazingly, Mr. Woods manages to do a creditable job with material to which he's almost totally unsuited.
(中略)
Although warmth and raffishness do not appear to come easily to Mr. Woods, he makes Joshua a credible charmer whose temper is something to be reckoned with.
(DeepL翻訳)
”驚くことに、ウッズ氏は、ほとんど適性のない素材で、信用に値する仕事をすることに成功した。
(中略)
ウッズ氏は温厚で気難しい性格の持ち主ではないようだが、ジョシュアを気性の荒い信頼できる魅力的な人物に仕上げている。”
余談ですが、『ジョシュア・ゼン・アンド・ナウ』で映画祭に行くときにお母さんを抱き締めるジェームズ・ウッズの写真を見つけました。幸せそうです。