2020/11/21。朝日新聞に、「折々のことば」2000回記念の1ページの記事がありました。「折々のことば」担当の哲学者・鷲田清一さんと歴史学者・藤原辰史さんの対談です。藤原さんは、人ではないSiriのことばを取り上げていた2015年8月13日が衝撃的だったようです。
鷲田さんの知人がSiriに「愛とは何か?」と尋ねたら、「愛とは、理解の別名です」と返され、翌日同じ質問をしたら「今日はその話はやめにしましょう」と言われたそうです。
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— ASA自由が丘(朝日新聞) (@ASAJiyugaoka) 2015年12月11日
132. ①「愛とは、理解の別名です」②「今日はその話はやめにしましょう」(Siri)
恋してますか?に対して「机から落ちたことはあります」と。ユーモアにも優れてる。 pic.twitter.com/TaouMtPcoc
「愛とは、理解の別名です」ということは 、反対に、「相手を理解しようとする=愛」ということか…
そう思ったとき、下の記事で紹介した海外の『ヴァンパイア/最期の聖戦』ファンのサイトに、アダム神父の際立った特徴が「純粋で理解のある慈悲深いまなざし」と書いてあることを思い出しました。
やっぱりアダム神父は愛の人なんだなぁ、なんて考えながら、対談記事を読むうちの母(「折々のことば」ファン)のそばを通りかかると、
「鷲田さんの言うことって、牧師さんと一緒で、心の底に落ちてくる感じ」
と言われてびっくり!まさか牧師という言葉が飛び出すとは!うちキリスト教じゃないのに。